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東京地方裁判所 平成8年(ワ)14247号 判決

原告

鈴木悟郎

被告

株式会社南王

主文

一  被告は、原告に対し、金一〇六万二九五一円及びこれに対する平成七年九月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、八分の一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項について、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金八七八万八八四九円及びこれに対する平成七年九月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、信号機による交通整理が行われている交差点を進行した原動機付自転車と、交差道路を右方から進行してきた普通貨物自動車が衝突した交通事故について、原動機付自転車を運転していた者(訴訟提起後に別の原因で死亡し、その夫が訴訟承継をした。)が、普通貨物自動車の所有者に対し、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき損害の賠償を求めた事案である。

一  前提となる事実(証拠を掲げない事実は争いがない。)

1  交通事故(以下「本件事故」という。)の発生

(一) 発生日時 平成七年九月二日午前一〇時〇五分ころ

(二) 発生場所 東京都八王子市南新町三番地先交差点

(三) 加害車両 被告が所有し、肥後正祥が運転していた普通貨物自動車

(四) 被害車両 鈴木隆子が運転していた原動機付自転車

(五) 事故態様 東から西へ進行してきた加害車両と南から北へ進行してきた被害車両が衝突した。

2  責任原因

被告は、加害車両を所有し、これを自己のために運行の用に供していたのであるから(弁論の全趣旨)、自賠法三条に基づき、本件事故により鈴木隆子に生じた損害を賠償する義務がある。

3  相続

鈴木隆子は、平成八年一一月八日に脳内出血を起こし、平成九年一月三日に死亡した(甲五、原告本人)。鈴木隆子には、夫である原告のほかに、弟妹として相澤利明、波多野和江、池田シゲ子、相澤清一及び帆苅すみ子の合計六人の相続人がおり、平成九年五月一日ころ、これらの相続人の間で、鈴木隆子が有する本件事故に基づく損害賠償請求権を原告がすべて相続する旨の遺産分割協議が成立した(甲五、八の1~5、原告本人、弁論の全趣旨)。

二  争点

1  免責の有無・過失相殺

(一) 被告の主張

肥後正祥は、被告会社で小口の配達をしており、加害車両を運転して東から西へ進行し、本件交差点の対面信号が赤色であったことから停止した。肥後正祥は、信号待ちをしている間、本件交差点の先の交差点をどのように曲がろうかと考えながら配達伝票を確認し、対面信号が青色に変わったのを確認して時速一〇キロメートルから一五キロメートルほどで加害車両を発進させた。そこへ、被害車両が赤信号を無視して本件交差点に進入し、加害車両に衝突したもので、肥後正祥に過失はなく、もっぱら、鈴木隆子に本件事故発生の責任がある(なお、加害車両の運行に関し被告が注意を怠らなかったか否か、加害車両の構造上の欠陥又は機能の障害がなかったか否かのいずれについても本件事故発生と関係がないこと、仮に、免責が認められない場合には、過失相殺がなされるべきであることについても、いずれも黙示的に主張しているものと理解することができる。)。

(二) 原告の反論

鈴木隆子は、被害車両を運転して時速二〇キロメートルの速度で南から北へ進行し、本件交差点にさしかかったので、時速一〇キロメートル程度に減速した。そして、本件交差点の一〇メートルほど手前で対面信号が青色であるのを確認し、注意深く交差点を直進したところ、東から赤信号を無視して直進してきた加害車両に衝突され、被害車両ごと跳ね飛ばされた。

したがって、本件事故の原因はもっぱら肥後正祥の信号無視によるもので、鈴木隆子に過失はない。

2  各損害額

第三争点に対する判断

一  免責の有無・過失相殺(争点1)

1  前提となる事実及び証拠(甲一の3、五、六、乙二の1~6、三、四の1~9、証人肥後正祥、原告本人)によれば、まず、次の事実が認められる。

(一) 本件事故発生場所は、八王子市東町方面から同市追分町方面に向かって東西に走る平坦な道路(以下「東西道路」という。)と八王子市天神町方面から甲州街道方面に向かって南北に走る平坦な道路(以下「南北道路」という。)が交差する市街地の信号機による交通整理の行われている交差点(以下「本件交差点」という。)である。東西道路は、西方向への一方通行規制があり、その幅員は両側各一・一メートルの路側帯を含めて七・一メートルである。南北道路も、北方向への一方通行規制があり、その幅員は両側各一メートルの路側帯を含めて六・七メートルである。本件交差点の各出入口にはいずれも横断歩道があり、各角にはいずれも建物が建っていて、東西道路を西へ、南北道路を北へそれぞれ進行する際には、いずれも左右の見通しは悪い。また、南北道路上の本件交差点から約五六メートル南側に信号機により交通整理の行われていない交差点が、東西道路の本件交差点の西側に信号機による交通整理の行われている交差点がそれぞれ存在している。

(二) 肥後正祥は、本件事故当時被告会社に勤務して小口の配達を担当しており、平成七年九月二日午前九時ころ、加害車両を運転して被告会社を出発した。肥後正祥は、同日午前一〇時五分ころ、東西道路を西へ進行して本件交差点に差し掛かった。他方、鈴木隆子は、信仰している宗教団体の教会へ行くため、被害車両を運転して南北道路を北へ進行していた。鈴木隆子は本件交差点の約六〇メートル南側にある交差点に進入する際、本件交差点の対面信号が青色であるのを確認し、そこを通過して時速二〇キロメートルほどで本件交差点へ向かった。鈴木隆子は、本件交差点の約一〇メートルほど手前で減速し、南北道路のほぼ中央を走行して本件交差点に進入したところ、本件交差点の中央において、東西道路を直進した加害車両の左前側部(左前輪及び左ドア部分)に直進する状態で衝突して転倒した。肥後正祥は、加害車両の左側でガチャンと音がしたので、本件交差点西側出口の横断歩道付近に加害車両を停車させ、衝突地点から約一・四メートル南西側に転倒している被害車両を、そこからさらに約一・七メートル南西側に倒れている鈴木隆子をそれぞれ発見した。

本件事故直後、鈴木隆子は、救急車で病院に搬送されたため、肥後正祥のみが立ち会って実況見分が行われた(以下「第一実況見分」という。)。その際、肥後正祥は、対面信号が赤色であったので、本件交差点手前の停止線に従って加害車両を停止させ、青色信号に変わって発進したところ、被害車両が衝突してきたとの指示説明をした。なお、本件事故により、加害車両の左側ドア中央部、下部に凹損が生じ、左前輪タイヤに被害車両の赤色塗装が付着した。被害車両は、前ホークが曲損し、カウル等が破損した。

(三) 肥後正祥は、本件事故から一日か二日ほどして入院中の鈴木隆子を見舞った。その際には原告も居合わせ、肥後正祥は鈴木隆子から容態を聞くなどしたが、肥後正祥が赤信号を無視したとはいわれなかった。その後、一、二週間して、肥後正祥は、再び鈴木隆子を見舞ったが、鈴木隆子は、肥後正祥が赤信号を無視したと述べた。

鈴木隆子は、平成七年一一月七日に退院し、同月二三日、肥後正祥及び鈴木隆子が双方立会った上で再び実況見分が行われた(以下「第二実況見分」という。)。その際、肥後正祥は第一実況見分と同様の指示説明をした。鈴木隆子は、本件交差点のひとつ手前の交差点に入ったところで本件交差点の対面信号が青色であることを確認し、衝突地点の一五・五メートル手前で減速して本件交差点に進入したと指示説明をした。

鈴木隆子は、平成八年二月に作成した自動車保険料率算定会立川調査事務所宛回答書(以下「算定会回答書」という。)において、本件交差点に進入する時の信号は青色で、本件交差点の一〇メートルくらい手前でこれを確認したこと、事故回避措置としてハンドルを左へ切ったこと、加害車両と衝突したのは被害車両の右側であったことなどを回答し、本件事故に関する意見として、本件交差点の一〇メートルほど手前で対面信号が青色になったのを確認し、安心してスピードを落としたまま交差点に入ったところ、右側から加害車両が来たと記載した。

(四) 本件交差点の対面信号のサイクルは、東西道路及び南北道路ともに同じであり、青色が二〇秒、黄色が三秒、双方とも赤色が二秒、赤色が二五秒で一周期五〇秒である。

2  本件事故態様について、証人肥後正祥は、「本件交差点に差し掛かった際、対面信号が赤色であることを確認して停止線に従って停止した。信号待ちをしている間に配達伝票をめくりながら配達順路を確認していた。一〇秒から一五秒して信号が青に変わったので、左右を見ることなく時速一〇キロメートルないし一五キロメートルで発進したところ、加害車両の左側でガチャンと大きな音がした。」として、被告の主張に沿う供述をし、肥後正祥作成の陳述書(乙三)も同旨である。この内容は、第一、第二実況見分における指示説明から一貫している。

これに対し、原告本人は、「本件事故当日、妻(鈴木隆子)から、青信号を確認して進んだら衝突したとの概略は聞いたが、細かいことは聞いていない。とにかく、青で行ったらいきなりガーンときたと言っていた。」などとして、青信号で本件交差点に進入したとの一事においては原告の主張に沿う供述をしている。しかし、他方では、「算定会回答書で、妻が事故に対する意見として記載した内容(対面信号の一〇メートル位手前で青色になったのを確認し、スピードを落としたまま交差点に入ったこと)のとおりの話を妻から聞いた。」、「信号を確認して青であったから、少し減速して行ったと妻から聞いた。」などと供述しながら、「対面信号が青色であることを確認したと聞いたのか、青色になったことを確認したと聞いたのか分からない。」とか、「減速したか否かは減速した理由も含めて妻から聞いていないから分からない。」と供述するなど、信号を確認した地点、確認をした際の信号の状況(青色であったのか、あるいは、青色に変わったのか)、減速の有無といった重要な事項について、矛盾したりあいまいな供述をしている。原告作成の陳述書(甲五)の内容は、「妻は時速二〇キロメートルで走行していたが、本件交差点に差し掛かったので徐々に減速して時速一〇キロメートル程度で走行し、本件交差点の手前一〇メートルくらいの地点で信号が青色であるのを確認して注意深く交差点を直進した。」として、原告の主張に沿うものである。しかし、この陳述書を作成した原告本人の供述があいまいである上、仮に、これが鈴木隆子から聞いたとおりの内容であるとしても、鈴木隆子の説明は、青色信号を確認した地点、確認した内容(青色信号であったか、青色信号に変わったか)という重要な点について、変遷している(南北道路のひとつ手前の交差点から本件交差点までの距離、信号の一周期の時間に照らすと、ひとつ手前の交差点に進入する際に青色であった本件交差点の信号が、被害車両が本件交差点に進入する前に黄色から赤色になって再び青色になることは考えられず、第二実況見分の指示説明と算定会回答書の内容は矛盾しているというべきである。)。もっとも、原告は、鈴木隆子は、算定会回答書において、本件交差点に進入する際の信号の状態について、「信号の変わり目」とは回答しておらず、「青色になった」とは、「青色であった」との趣旨であることは明白であり、指示説明と回答書の内容に齟齬はないと主張する。たしかに、算定会回答書には、鈴木隆子が本件交差点に進入する際の信号の状態について、「信号の変わり目」であったとの回答欄があり、鈴木隆子はこれを選択していない(甲六)。しかし、本件交差点の一〇メートルほど手前で青色に変わっているのであれば、本件交差点進入時に青色であったと回答し、信号の変わり目であると回答しないことはむしろ合理的であるといえるから、原告の主張は採用できない。

このように、証人肥後正祥の供述内容が、本件事故直後から一貫したものであること、原告本人の供述及び陳述書の内容が、あいまいであったり、重要な点で、従前の鈴木隆子の説明から変遷が見られることに加え、肥後正祥が、本件事故後鈴木隆子を最初に見舞った際、鈴木隆子及び原告から、肥後正祥が赤信号を無視したとはいわれていないことをも併せて考えると、大筋としては、証人肥後正祥の供述が信用できるというべきである。原告は、二輪車の運転手は、衝突すれば大けがをするのであるから、赤信号で交差点を通行するはずがないのに対し、貨物車の運転手は二輪車と比較して身体が安全であるがゆえに二輪車等を見落としがちであるし、肥後正祥も、いったん赤信号で停止したとしても南北道路を通行する車両がないと早合点して発進した可能性や、東西道路のひとつ先の交差点の信号機が青色であったのを見誤って発進した可能性もあると主張するが、いずれも推測の域を出ず、ただちには採用できない。

ところで、本件事故は、南北道路の対面信号が赤色に変わってまもなく発生していること、被害車両の車種及び速度からして対面信号を見落とすことは考えにくいこと、また、本件交差点は見通しが悪い上、本件事故発生は午前一〇時過ぎであるから、あからさまな信号無視(例えば、信号の変わり目ではない時期の信号無視)は極めて危険であること、東西道路と南北道路の幅員が比較的狭いことからすると、南北道路の信号が赤色であっても、東西道路の通行がないことを確認してゆっくり通行することは考えられないではないが、被害車両はほぼ直進したまま衝突し、走行状況に躊躇があったことがうかがわれないことなどの事情を総合すると、鈴木隆子は、対面信号が青色から黄色、さらには赤色まで変わったものの、それが本件交差点の手前であったため、そのまま走行してしまった可能性が高いということができる。これに加え、南北道路の対面信号が赤色になってから東西道路の対面信号が青色になるまでに二秒あるのに衝突してしまっていることを併せて考えると、肥後正祥の供述のうち、東西道路の信号が青色に変わったのを確認してから発進したことについては疑問がないではなく、衝突した時点で青色であったとしても、青色に変わる寸前に見込発進した可能性も捨てきれない。

3  右に検討した証人肥後正祥の供述内容を前提に、1で認定した事実を総合すると、本件事故の態様は、次のとおりであったと認めることができる。

肥後正祥は、本件交差点にさしかかった際、対面信号が赤色であることを確認して停止線に従って停止した。信号待ちをしている間に配達伝票をめくりながら配達順路を確認していた。一〇秒から一五秒して信号が青に変わったか、あるいは、変わる寸前に、左右を見ることなく時速一〇キロメートルないし一五キロメートルで発進した。他方、南北道路の信号は、鈴木隆子が本件交差点に近づくに従い青色から黄色に変わり、本件交差点の直前でさらに赤色になったが、鈴木隆子はそのまま被害車両を走行させて本件交差点に進入し、加害車両の左前部ドア付近に衝突した。

4  これらの認定事実によれば、肥後正祥は、事故発生時に相手車両に与える危険の大きい普通貨物自動車を運転し、左右の見通しが悪い交差点で赤信号に従って停車していたのであるから、対面信号が青信号に変わったとしても、信号の変わり目で交差道路を通過しようとする車両などの存在に留意し、左右を十分確認して発進させる注意義務があったというべきである。しかし、肥後正祥は、対面信号が青色に変わったか変わる寸前、左右の確認をすることなく漫然と加害車両を発進させ、被害車両が衝突するまでその存在に気がつかなかったのであるから、肥後正祥にはこの注意義務を怠った過失があるということができる。したがって、被告は、免責されない。

他方、鈴木隆子は、本件交差点は信号機による交通整理が行われ、見通しが悪いのであるから、信号に従うことはもちろん、左右を十分確認して通行する注意義務があるのに、信号の色が変わった直後とはいえ、これを怠り本件事故を発生させた重大な過失がある。

この過失の内容、本件事故の態様等の諸事情を総合すると(被害車両が本件交差点に進入したのが、南北道路の信号が赤色に変わった後であることからすると、被害車両が原付であることを考慮しても、鈴木隆子の過失割合が相当程度に大きいといえる。しかし、肥後正祥も停止状態から発進する以上、左右の確認を十分しながら発進すれば、本件事故の発生を防ぐことができた可能性も否定できず、発進したのが青色に変わる寸前であった可能性もあり得ることを考慮すると、相応の過失を考慮せざるを得ない。)、本件事故に寄与した過失割合は、鈴木隆子が七割、肥後正祥が三割とするのが相当である。

二  損害(争点2)

1  治療費(請求額三九万二四一〇円) 三七万八五七〇円

証拠(甲一の1~4、二、三の1、七)によれば、鈴木隆子(昭和一〇年一〇月一日生まれ)は、本件事故後、右大腿骨骨幹部骨折、右第三、四、五肋骨骨折、右下腿挫傷の診断を受け、平成七年九月二日から同年一一月七日まで八王子整形外科病院で入院治療を受け(その間、同年九月二日、八日にそれぞれ手術を受けた。)、その後、同年一一月一四日から平成八年一一月一日まで通院(実日数一三七日)して投薬及び理学療法による治療を受けたこと、それらの治療費として三七万八五七〇円を支払ったことが認められる。

原告は、鈴木隆子は平成八年六月一日にも通院して治療費四一〇円を支払ったと主張するが、それに沿う証拠はない上、かえって、通院していないことがうかがわれる(甲三の1)。また、原告は、鈴木隆子は、南多摩病院及び今井耳鼻咽喉科にも通院して合計二四三〇円を支払ったと主張し、それに沿う証拠(甲七)も存在するが、いずれも耳鼻科あるいは耳鼻咽喉科であり(甲七)、この治療と本件事故との間に相当因果関係を認めるに足りる証拠はない。

2  体育館使用料(請求額三九〇〇円) 三九〇〇円

鈴木隆子は、八王子整形外科病院の医師の指示により、リハビリとして水泳による筋力トレーニングのため、八王子市民体育館を一回三〇〇円で合計一三回利用した(甲一の5、五、乙七)。

3  文書費(請求額二万二〇〇〇円) 一万一〇〇〇円

鈴木隆子は、八王子整形外科病院において、診断書を二通作成してもらい、合計一万一〇〇〇円を支払った(甲七)。

4  入院雑費(請求額八万七一〇〇円) 八万七一〇〇円

入院雑費としては、一日あたり一三〇〇円の入院六七日分として八万七一〇〇円を相当と認める。

5  入院付添費(請求額四七万六二四〇円) 三〇万八〇〇〇円

証拠(甲一の3、三の2)及び弁論の全趣旨によれば、鈴木隆子について、入院先である八王子整形外科病院の医師は、入院した平成七年九月二日から同年一〇月一七日までは付添看護が必要であると診断していたこと、同年九月二日から少なくとも同年一〇月一五日までは職業付添人が付き添っていたことが認められる。原告は、同月一七日までは職業付添人が、その後、同月一八日から同年一一月七日までは原告が付添をしたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない(甲三の2によれば、鈴木隆子は、同年一〇月一五日に職業付添人に本日までと言われ、翌週末まで付添いをしてほしい旨を訴えたことは認められるが、その後、同月一七日まで期間が延長されたことを認めるに足りる証拠はない。)

しかし、本件全証拠によっても、鈴木隆子が、この職業付添人に対し、一日あたりに支払った金額は明らかでないので、一日あたり七〇〇〇円の四四日分である三〇万八〇〇〇円の限度で付添費を認める。

6  自宅付添費及び通院付添費(請求額一四六万八〇〇〇円) 二二万円

鈴木隆子は、八王子整形外科病院を退院後、しゃがむこともできず、歩行時には杖が必要で、少なくとも平成七年中は原告の介護がないと生活が困難な状態にあり、原告が鈴木隆子の世話を行ったこと、平成八年になってからは、歩行器を使用して外出できるまでになってきたことが認められる。

この認定事実によれば、鈴木隆子には、自宅付添費として、一日あたり四〇〇〇円、退院した平成七年一一月七日から同年一二月三一日まで五五日分の二二万円を認めるのが相当である。

通院付添費については、原告が鈴木隆子の通院に付き添っていたと認めるに足りる証拠はない。もっとも、鈴木隆子は、平成七年中は自宅での付添看護が必要な状況にあったのであるから、この間は、原告が通院に付き添っていた可能性もある。しかし、仮に、右の間に付き添っていたとしても、後記のとおり、タクシーでの通院であるから、付添の負担の程度を考慮すると、右の自宅付添費の枠内で足りるというべきである。

7  通院等交通費(請求額五三万〇四八〇円) 四〇万三五四〇円

証拠(甲七)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、平成七年一一月一四日から平成八年九月二九日まで、八王子整形外科病院への通院、本件事故に関して警察署及び検察庁への出頭、リハビリのための八王子市民体育館への往復にタクシーを使用し、合計四〇万三五四〇円を支払った(原告が請求する通院交通費のうち、領収書がないことを自認しているもののほか、平成七年一二月一六日の三二二〇円、平成八年一月五日付けの一二一〇円、同年二月二九日の二四九〇円、同年三月二日の二二五〇円、同年四月一五日の一四五〇円、同年六月二七日の七三〇円については、それを裏付ける領収書の日付が異なっている。同年一月一八日の一四五〇円、同年三月二日の一一三〇円は、領収書の体裁からして、内容あるいは日付が後に改ざんされた疑いがある。)。

なお、原告は、鈴木隆子が買い物などに利用したタクシー代も請求するが、本件全証拠によっても、買い物以外のものは目的が明らかでない上、買い物については、タクシーを利用してでも必要なものか否か明らかでなく、本件事故と相当因果関係を認めるに足りない。

8  装具・器具等購入費(請求額一万三二二〇円) 〇円

原告は、鈴木隆子は、本件事故により、サポーター、靴、通院用リュックサック及びポシェットと、自宅に手すり及び風呂場用椅子を購入し、合計一万三二二〇円を負担したと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。しかし、自宅においてもある程度雑費が必要であることは否定できないので、慰謝料として若干考慮する。

9  休業損害(請求額四〇五万五四九九円) 三八五万七七二四円

証拠(甲三の1、二、五、七、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、鈴木隆子は、本件事故当時、原告と二人暮らしで主婦業をしており、原告もすでに退職をして家事などを手伝っていたこと、平成八年六月ころまでは一か月のうち一五日以上通院し、その後通院頻度は低下してきたが、プールでのリハビリを行っていたこと、本件事故後は、同年一一月八日にリハビリ中のプールで脳内出血を起こすまで、原告が家事の全てを行っていたことが認められる。この認定に対し、被告は、本件事故以前から原告が家事全般をしていたと主張するが、本件全証拠によっても、本件事故以前において、原告が家事全般をしていたとまではいえない。

この認定事実によれば、鈴木隆子の主婦業の対価は、原告が主張する年間三二四万四四〇〇円(平成七年度賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計の全年齢平均賃金である年間三二九万四二〇〇円を上回らない額)を下らないものと認めることができる(原告が手伝っていた家事の内容及び頻度は明らかでないので、鈴木隆子の主婦業の対価を減殺するほどの事情とまではいえない。)。そして、6で認定した退院後の状況をも併せて考えると、鈴木隆子は、本件事故当日である平成七年九月二日から平成八年一一月八日までの四三四日間は家事を行うことができず、本件事故により、右の対価を前提に四三四日分の損害を被ったということができる。

したがって、鈴木隆子の休業損害は三八五万七七二四円(一円未満切捨)となる。

3,244,400×434/365=3,857,724

10  慰謝料(請求額一九四万円) 一九四万円

本件事故の態様、入通院期間、原告の負傷の内容及び程度、それに伴う諸雑費の必要性などの諸事情を総合すれば、慰謝料としては一九四万円を相当と認める。

11  過失相殺及び損害のてん補

以上の損害合計額七二〇万九八三四円から、本件事故に寄与した鈴木隆子の過失割合七割に相当する五〇四万六八八三円(一円未満切捨)を減ずると、二一六万二九五一円となる。

被告は、自賠責保険から一二〇万円の支払を受けているので(争いがない)、右の金額からこれを控除すると、原告の損害額の残金は九六万二九五一円となる。

12  弁護士費用(請求額一〇〇万円) 一〇万円

原告は、本件訴訟の追行を原告訴訟代理人に委任したもので(弁論の全趣旨)、本件認容額、審理の内容及び経過等に照らすと、本件事故と因果関係のある弁護士費用は一〇万円と認めるのが相当である。

第四結論

以上によれば、原告の請求は、自賠法三条に基づく損害金として一〇六万二九五一円及びこれに対する平成七年九月三日(不法行為の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 山崎秀尚)

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